アメリカ・中国・台湾を巡って不安定な情勢が続いていますが、
中国と国交のある国が台湾と交流すると中国が…
『1つの中国』を厳守していただきたい
と、もう最近は耳にタコができるんじゃないかって程よく言ってますよね💦
今回は前半では『1つの中国』について、後半では『92コンセンサス』について
かなり複雑な内容ですが、なるべく分かりやすく嚙み砕いて説明していこうと思います。
だいたいの元凶は蒋介石
中国で発生した蒋介石(国民党)vs毛沢東(共産党)の戦いは有名な話でしょう。
まずはその戦いに至る経緯から説明していきましょう。
孫文(絵中央)の革命で誕生した中華民国では「南部の国民党」「北部の共産党」という形で内部分裂をしていました。
しかし国民党党首だった孫文が共産党に対して寛容的だったので、両党は南北で平和に共存していました。
孫文が亡くなると蒋介石(絵左)は不意打ちのように北部を攻め、いろいろあって国民党が南北を統一します。
妻と子どもはこの後捕らえられて、全員ころされてしまったんだ…
本当に悔しかったよ…泣
酷く手傷を負った共産党は報復をあきらめて身を引き、中華民国は国民党が中心となって第2次世界大戦で戦勝国となりました。
1946年(終戦の1年後)
『アメリカの戦後復興の支援を受ける』という蒋介石に対して毛沢東は突如猛反発します。
実は共産党は身を引くフリをして着々と力を蓄えていたのです。
ソ連(現ロシア)から間接的に支援を受けた人民解放軍(共産党)の先制攻撃により、国民党vs共産党の内戦は勃発しました。
「1つの中国」の誕生
1949年
アメリカ頼みで堕落していた蒋介石は支援を受けていたのにもかかわらず人民解放軍に追いやられて台湾へ逃亡します。
海を挟んで両国は戦いを続け、休戦後蒋介石は台湾が『中華民国』である、毛沢東は大陸が『中華人民共和国』であると宣言をします。
中華民国
(Republic of China)
中華人民共和国
(People’s Republic of China)
両国とも英語で略しても『china』、日本語で略しても『中国』
…毛沢東は何ともややこしい名前を付けてくれました。
うーん…中華人民共和国に独立されたらこっちが不利になっちゃうなぁ
そう考えた蒋介石は国連で
世界に中国(china)という国家は1つしかありません!
中国を代表する政府は、中華民国1つだけです!
と主張し、『中華人民共和国』を国家として認めないように世界各国へ要求しました。
この時初めて「1つの中国」という概念が誕生。世界は『中華人民共和国』を国家として認めませんでした。
実際に戦勝国であり、国連の常任理事国でもあった中華民国ですが、現在は内戦で追いやられた小さな島国…
「大国になりえる中華人民共和国を無視する事は難しい」と将来を危惧したアメリカ・日本は「2つの中国(双方の独立)」を何度も提案します。
しかし大陸奪還を目指している蒋介石は全く聞く耳を持ちませんでした。
「1つの中国」宣言が仇となる
日本統治時代の恩恵をむさぼり、台湾を衰退させてばかりの中華民国と、みんなで発展させようと頑張る中華人民共和国。
年月が経ち、中華人民共和国も力をつけ始めました。
アジアやアフリカで独立が激化する世界情勢の中、国連は大きく動き始めます。
中華人民共和国の国力も大きくなってきたから
中華人民共和国を国連に加盟すべきだと思うんだけど
いきなり何を言うんだ!
「1つの中国」を順守しろ!
その「1つの中国」をなくして中華人民共和国を加盟させたらダメかな?
共産党と机を並べて話し合いなんて出来るか!
そもそもあの大陸は我々のあーだこーだ 怒
…そんなに駄々をこねるなら、もうこうするしかないか…
1971年
中国代表権(1つの中国)を中華民国から中華人民共和国へ継承
「1つの中国」へこだわる姿勢にしびれを切らした国連は、中華民国を国連から追放し、中華人民共和国を常任理事国として継承させたのです。
すなわち「世界に中国(china)という国家は1つしかない」の対象が中華人民共和国を指す意味になってしまいました。
(中華人民共和国による各国への裏工作があったのだとか…)
これを機に世界各国は次々と中華人民共和国と国交を樹立していきます。
ここから長年国家として認めてもらえなかった中華人民共和国の反撃が始まります。
中華民国と国交を断絶しない国は
我々から国交を断絶してやる!
世界は中華人民共和国との国交樹立を保つ為、次々と中華民国と国交を断絶していきました。
翌年(1972年)にはかつて中華民国を支援してくれていたアメリカ、日本も続くように国交を断絶。
「1つの中国」を蒋介石が固持し続け、現地の発展をないがしろにした結果、逆に利用されて世界から孤立してしまったのです。
92コンセンサス
中国台湾関連のニュースで必ず出るワード
92コンセンサス
これも「1つの中国」が大いに関わってきます。
92コンセンサスの『92』は1992年、『コンセンサス』は共通認識という意味です。
国連を追放されて20年近くたった1990年代。
当時は民主化を進めた李登輝総統が憲法内での中国の表記について試行錯誤していた頃です。
憲法の中で中国との関係を…
・一国二政府(1990)
・一つの中国、二つの対等な政治実体(1991)
・一つの中国に向けた段階的な二つの中国政策(1993)
・特殊な国と国の関係(1999)
と、その時の情勢を考えながら表現を変えていました。
この中の空白の1992年に口頭で「1つの中国」に合意したと言われているのが【92コンセンサス】。
これはいったいどういう事でしょうか?
始まりは突然に…
かつて共産党と対立し、大陸奪還を目指していた国民党。
1990年代以降
国民党は急成長をした中華人民共和国と統一をして内部から中国大陸を取り返そうという政策に変わっていました。
2000年
総統選挙で独立志向の強い『民進党』が政権をとり、中華民国では初の政権交代が行われます。
蒋介石の頃から長年政権を握りしめていた国民党は大陸奪還計画が実行できない危機感を覚えます。
そして政権交代が行われた直後…
中国大陸との業務全般を担当していた主任(国民党)が記者に対し
国民のみんな知らんやろうけどな
1992年に「1つの中国」に合意してたんやで
急に何言うてんねん!
そんな合意した覚えないわ!
このような当時の政府関係者とのやりとりから『92コンセンサス』という言葉が突然生まれ、台湾で大論争に発展してしまいました。
92コンセンサスを使って中国との統一を図る国民党
合意したと言われる1992年からとって「92コンセンサス」と呼ばれたこの論争ですが真偽が分からぬまま時は過ぎ…
2008年
国民党が再び政権を取り戻したことによりまた動き出します。
当時の馬英九総統が
92コンセンサスの確たる証拠がある!
とまたもや過去の大論争を掘り返してくれたのです(;一_一)
そして『92コンセンサス』を利用して中国中心の統一へ進むような行動をします。
中国を頼るような経済政策を進め、中国との関係を改善した成果もあり、
2015年 分断して以来(1949年以来)初めての中台首脳会談が行われました。
この写真…1970年代なら中華民国でもものすごく喜ばれたでしょう。
しかし時はすでに2015年…
分断から70年近く経過し、民主化から25年が経過。
慣れた国民は中華民国ではなく台湾だという意識が強くなり
民主主義が「1つの中国」で一党独裁に飲み込まれてしまうと国民は大規模なデモで猛反発をしました。
蔡英文総統にとって「1つの中国」とは…
中国に経済を握りしめられるような政策を独断で決めた馬英九は多くの国民の反発を買い、2008年の総統選で民進党の蔡英文に敗れました。
2000年
民進党が政権をとったのに中国寄りの国民党に敗れてしまった理由は【台湾独立を全面的に出してしまった事】…
大まかに言うと「1つの中国」と共に中華人民共和国そのものを断固拒否した事が原因でした。
台湾には中国大陸から渡ってきた人も数多くいますからね。
そこで蔡英文総統は当選すると
「92コンセンサス」は存在しません。
「1つの中国」の捉え方は中華人民共和国と中華民国で違うものです。
一党独裁国家と民主国家が一つにはなれません。
しかし私たちは中華圏の同士です。
もし中国が民主化へ進むのであれば私達は協力します。
このように「中国が民主化を行うのであれば協力して一つになりましょう」というメッセージを発信したのです。
まとめ
現在、新型コロナで世界へ中華民国の存在感を示し、中国との差別化に成功している蔡英文総統。
世界各国でも中華民国(台湾)を支持するような声が次々と上がっています。
「1つの中国」がこれからどのように変わっていくのか…歴史は今も続いています。