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【台湾教育史をわかりやすく解説】台湾の歴史に翻弄された学生達

以前台湾の歴史と台湾の呼び名の関係について書いたと思いますが
今回は台湾の時代の流れと教育の変化について書いてみようと思います。

1642年~ オランダ時代

統治開始後、オランダ本国はキリスト教の布教教育を進めていき…
1636年
台湾の新港(嘉儀)に初めて学校を設立しました。
教育には『※新港語※』をローマ字表記にしてものを使ったと言われています。
1643年の報告では学生80人中10人程度が整った字を書けるようになったと書かれています。
※『新港語』※
台南一帯の平埔族(へいほぞく)の間で伝わっていた言語。
現在は失われた言語といわれている為、
ローマ字表記をした当時の書物は貴重な歴史的資料に指定されています。

1662年~ 鄭成功政権時代

オランダに代わって統治した鄭成功は台湾の教育事業に力を注ぎました。
1666年
当時台湾の中心地であった承天府(現:台南市中西区)に
台湾最初の孔子廟を建立…
そして孔子廟の横に高等教育機関である『太学』を設置しました。
日本でいう所の『儒教』なんですが、
孔子廟と並んで作られる『太学』が後に、
台湾全土に教育が行きわたる大きなきっかけにもなります。

1683年~ 清朝統治時代

1683年
無償教育を原則とする「西定坊書院」を設立し、
1704年
崇文書院をはじめ、1895年までの間に
数十箇所の書院を設立しました。

教育は主に閩南語(台湾語)を使って教育を行い、
北京官話(マンダリン)は補助的に使用されていました。

1895年 日本統治時代

1895年
台湾の西洋教育に基づく教育制度整備に力を注ぎます。
日本でもまだ実施されていなかった義務教育制度を提案し、
台北市芝山巌に最初の小学校(現 台北市立士林国民小学校)を設置します。

日本統治に不満を持つ一部台湾人の反発による事件も発生しましたが、
1896年
国語伝習所を設置するなど、台湾の教育制度を整備していきます。
そして台湾総督府立の高等教育機関を設立し、台湾の就学率の向上をはかりました。

出典:作家生活誌

初等教育を行う公学校、小学校、国民学校以外に、
台湾原住民を対象に蕃童教育所や蕃人公学校も設置しましたが、
これが民族差別として批判される事もありました。

中等教育では教員確保のために公費による師範学校制度を採用。
これにより台北師範学校、台南師範学校などが設立され、
実業学校も重視し、農工商漁などの実業学校が開設されていきました。

1928年
台北帝国大学が創設されましたが、原則日本人を対象としたものだったので、台湾人の入学人数は限られていました。
台湾の大学に入る事の出来ない台湾人は日本の大学に競うように留学します。
そして1945年には日本への留学者は累計20万人を越えるほどになっていました。

1945年~ 中華民国 国民党統治時代

日本統治時代の教育制度と大陸の教育制度が混在した状態でした。

1949年~ 蒋介石による独裁政治の始まり

蒋介石は台湾の人達に自分は大陸の人間だと認識させるために
中国史中心の洗脳教育をすすめていきます。
その為、台湾語や日本語を話す人はスパイとみなされ連行、処刑されました。

この頃の学校は今のような平和な学校ではありません。
校門には蒋介石の像が設置され、
風紀を正すための教員に軍の教官を起用します。
体罰が当たり前の厳しい指導の下、
学生達は登校時に蒋介石像に深くお辞儀をし、
授業前には蒋介石を称える歌を歌わなければいけなかったのです。

台湾語を話すと
「台湾語を話しました」
と書かれたプレートを首から下げ、罰を受けなければいけませんでした。
台湾語を話した別の学生が現れるまで付けていなければいけないのです。
体罰が当たり前のように行われていて、
授業中に居眠りをしている学生を教官が連れ出し、
翌日、学生が変わり果てた姿で見つかったという事も頻繁にあったようです。

張常美さん(1950年当時18歳) 体験談

1950年
私はまだ18歳で
中部・台中の高等商業学校に通っていたのですが、
授業中、校長から呼び出され、そのまま台北に連行されました。
私は入試の成績が良く生徒会に入っていたのですが、
訳が分からず泣き続ける私に取調官は、
「生徒会長がお前を共産主義者だと通報した」
と言ったんです。
私は言われるまま書類に判を押し、12年間を獄中で過ごしました。
判決書に書かれていた、60人以上の「共犯者」の中に、知っている人は一人もいませんでした。

出典:産経ニュース「戒厳令解除30年 「白色テロ」時代の解明ようやく一歩」


1698年
現在の日本と同じ義務教育9年制が施行されました。

1987年~ 戒厳令の解除

恐ろしく怖かった戒厳令が解除された台湾でしたが、
教育機関はすぐに教育法を変える事はできず、
連行や処刑はなくなりましたが、教官の配置は現在も行われています。

戒厳令解除翌年の1988年に蒋介石の息子 蔣経国が亡くなった時の写真。

1988年に白黒なのも驚きですが、アプリでカラーにすると…

一気に現実味を帯びてきましたね💦
子どもが膝をつき、大人が後ろに立って見張っている異様な光景…
戒厳令が解除されても、学生達は厳しい環境で、学校生活を送っていたことがよく分かる一枚ですね。

1990年~ 初の国民投票 民主主義の誕生

民主化に伴ってようやく『台湾史』が授業に導入されるようになりました。
国民党からの反発を抑える為に
中国史 8割 台湾史 2割
という感じだったそうです。
ここから徐々に台湾史を勉強する割合が増えていきます。

2000年頃から学生への体罰を問題視する声が上がり、
現在は昔のような体罰は減りつつあるという事です。

2016年 蔡英文政権の誕生

31歳になるまで戒厳令を経験した蔡総統は
「戒厳令のような過ちを繰り返してはいけない。
学校教育の在り方についても考え直さなければいけない」
として、台湾全土にある蒋介石像の撤去を法律で定めました。
(中正紀念堂は特例として残しています)

教育に関しては、グローバル化に向けた英語教育にも力を注いでいますが、
台湾語や台湾史の授業を増やし、
台湾の伝統文化や伝承を守っていこうともしています。

台湾語のみのドラマも作られるようになり、
2020年
国民的人気アニメの台湾語吹替の放送が開始。
かつて弾圧された台湾語を子どもたちに伝え残そうとしています。
次に蔡総統は
「学校の教官を廃止する」
と宣言しているそうですが、意外にも親からは
「教官がいないと学校の風紀が乱れてしまう」
という反対の声が上がっているのだとか。

まとめ

いかがでしたか?
最近の台湾ドラマや台湾アニメには昔の風景が多く入るようになりましたね。
その中でふと日本との違いに疑問に感じたり、
台湾の歴史に興味を持った方もいるのではないでしょうか?

実は台湾はまだ民主化の途中です。
今後も民主化していく台湾から目が離せませんね。

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