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【30歳で発達障害と診断された私】発達障害が分かるまで

【30歳で発達障害と診断された私】発達障害の特徴を紹介

私は30歳にして発達障害と診断されました。
なぜそれまで放置されていたのか、親は気付かなかったのか…思い返せば私は小さい頃から生きづらい人生を歩んできました。
もしかして・・と思っている方に、参考にしていただけると嬉しいです。


成人発達障害の支援
10分間で何ができるか

学生時代

幼稚園

3歳になっても「ブーブー」「ワンワン」のような発言のみでコミュニケーションが取れない為、病院の言語科へ通いました。
持病の影響で通院し、その後に幼稚園へ遅れて登園する事が多く、いつも室内で1人遊びをしていました。
寡黙で自分からは話しかけないような子どもでした。

小学生

幼稚園と同じ附属の小学校に入学。
言語面での発達が伸び、急に明るくお喋りになったので幼稚園時代のクラスメイトはみんな離れていきました。
友達ができてもある日突然急に嫌われて離れていき、特定の友達と仲良くするという事ができませんでした。
3年生にもなると、休み時間は1人で学級文庫の本を手に取っては挿絵を眺める毎日。
お弁当を食べる時もクラスメイト達の話になかなか付いていけず、がんばって話せば話すほど、周囲から距離を置かれるだけでした。
その影響からさらに自分から話しかけない寡黙な子どもになったのです。

小学6年の冬 卒業シーズン。
『卒業式はみんなで何を歌いたい?』という話し合いで、卒業に関連する歌を真剣に考えた私は『蛍の光!』と答えました。
すると周囲からブーイングの嵐。
卒業に関連している1番最適な歌だと真剣に考えた私は号泣しながら怒鳴り散らして教室を飛び出しました。
結局卒業とは関連のないJ-POPが採用されましたが、当時の私は『卒業式はみんなで何を歌いたい?』の意図が本当に分からず『卒業と関係ないやん…』と小言を言っていました。

中学生

担任の先生に対してかなり失礼な言い方をして、酷く怒られました。
私は友達のように先生に接していたので、怒らせようなどという悪気なんて一切ありません。
突然先生が怒りだしたので、何で怒られたのか当時はさっぱり分かりませんでした。
今思えばかなり失礼な物言いをしていましたね 汗
発達障害の特性でもあるコミュニケーション障害が顕著に表れていた時期でした。

高校

中学から仲良くしていた友達グループがみんな同じ部活に入部しました。
私は将来性を考えて1人だけ別の部活に入部。
クラスメイトだけでなく、唯一の友達とも距離が遠のきました。
お弁当はいつも教室の隅で1人で食べる毎日。
寂しさを紛らわす為にヘラヘラしながら2人で食べているクラスメイトに近付いて一緒に食べる事もしばしばありました。
そんな私には青春なんてものはありませんでした。
部活では上下関係を教えられ、先輩や見知らぬ人には丁寧語を使うようにと学びました。
しかし現在はこの影響で初対面からどのタイミングでタメ口にするかがわからず、年下にも丁寧語を使う癖があります。

短大

仲良かった友達がみんな別の大学へ行ってしまったので、大学デビューという感じで、1から頑張って友達作りをする事に。
最初は私の無意識のうちにしていたであろう非常識な言動にケラケラと笑ってつっこんでいた友達グループでしたが、卒業式を半年後に控えたある日から突然シカトを始めました。
それがとうとうクラス全体にまで…
私はクラスの誰からも相手にされない総シカトを受け、真の孤独となったのです。

私はうつ状態になり、授業中に号泣し教室を出ていきました。
その後、グループメンバーに呼び出された私に言ってきた言葉は『泣くだけじゃ分からない』。
私にはそれこそ意味が分かりませんでした。これは今だに謎でしかありません。
結局短大のクラスメイト全員と絶縁のような形で卒業しました。
正直この出来事がトラウマで今もコンタクトを取りたくありません。

学生時代 まとめ

本当に生きづらい学生時代でした。
私だけ先生に何度も呼び出され、叱責される事も多々ありました。
今思えば先生達はすでに私の無意識での問題行動に発達障害を疑っていたのかもしれません。

社会人編

私は社会へ出て、荒波に揉まれ、鬱になりました。(詳細はこちらから)
数年かけて鬱を克服した私はそれまでの経験から、一般的なそれらしい行動を身に付けられるようになりました。
そしてこの頃から世間でASDやADHDなどの発達障害が取り上げられるように…
ある日、口論の末に感情的になった母から『あんたおかしい!』と怒鳴られ、カッとなった私は『じゃあ精神病院行ってくるわ!』と言い返しました。
それを聞いた母が複雑な表情をし、それを見た父から『そんな事は思っても言うな』と止められました。
(私は普通と違って、どこかおかしい。でも病院へ行ったら親を困らせてしまう。病院に行ってはいけないんだ。)
私は心に枷をかけて、コミュニケーションに困っても病院へ行く事はしませんでした。
人間関係に困っても病院(心療内科)へは行ってはいけないものだと必死に思い込もうとしたのです。

・音楽を聞いて外の音を遮断しないと集中出来ない
・作業中に声をかけられたり何かが気になると別の事に集中して放置してしまう
・頼まれた家事を後回しにして、結局しない
(家事や片付けを順序通りに進められない)
・話したい内容が浮かべば関係ない時でも衝動的に話してしまう
・いつ・どこで など主語が抜けた会話をする
・時間や物事の加減が苦手
(予定時間の1時間前に到着する ギリギリに到着する など)

このような事が原因で日常生活に支障をきたし、頻繁に家でも母と衝突を繰り返します。

そんなある日、口論の末に感情的になった母が『あんた病院行って診断してもらったら!?』と私に怒鳴ってきました。
その瞬間、私を縛り続けた心の枷が落ちたのです。
私は自身の発達障害を確認する為、病院へ大きな第一歩を踏み出したのです。

結果はADHD(注意欠陥多動性障害)とASD(自閉症スペクトラム障害)の合併でした。
判明後は両親も今までの事は特性からくるものだと理解してくれ、以前よりも怒鳴らなくなりました。

まとめ

いかがでしたか?
共通点が多い場合は私と同じ発達障害の可能性が大いにあります。
不安なら何個も病院を変えて診てもらってもいいかもしれません。
セミナーに行くと同じ苦しみを知っている仲間とも出会えますし、
仲間の話からなにか解決の糸口が見つかるかもしれません。
この記事をきっかけにあなたの人生があなたらしいまま送れるよう願っています。


大人の発達障害
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