【実録】新設ブラック保育園へ就職した私の地獄の保育士生活~第1章~

※特定されないよう園名や個人名などは伏せています。
内容は鬱の影響で一部記憶の相違があるかもしれませんが、ノンフィクションです。
新設の保育所への就職を考えている方には1度読んで欲しいです。

今は鬱とは無縁に見えるが、かつて私は放心状態、魂が完全に抜けている鬱状態にまで落ちた経験がある。
元々私は兄弟と比べ要領が悪く、学力も低かった。だから『それなら少しでも早く働いて自立やろう』と給料の高い、新設の保育所を選んだ。
家族から「新設はやめときなさい!」と忠告をされたが、基本給が高く、既存保育所よりも内定率が高いという理由で飛びついた私は、後に酷いめに遭うのである。

 

就職試験は筆記と実技だった。エスカレーター式の一貫校だった私にとって、初めての本格的な試験だった。(一貫校は面接だけで高校、短大に入学できる)それらをパスした私は見事に内定をもらう。

内定した保育所は母体となる既存の保育園があり、そこから同時に2つ新設したものであった。後に聞いた話では、私は2つのうちのB園に内定する予定だったが、A園園長から『手話が出来る人材が欲しい』と懇願され、A園の内定となったらしい。
顔合わせを行った。みんなバイトの経験を高らかに語っており、バイトや就職経験がないのは私のみであった。
最初に私が園長から浴びせられた言葉は『浮世離れ』、『絶滅危惧種のような性格』。褒めるような言葉ではない。
それを笑いながら浴びせてくる園長に疑問を抱いたが、私は一度も働いた事がないのだ。
働くとはこういう事なんだと言い聞かせた。最後に園長が私達職員に言った。

『タイムカードは使いません。皆さんを信用していますから。』この意味が当時の私には全く分からなかった…

開園に向けての準備が始まった。
5月開園予定なのだが、3月中旬から毎日、朝から晩遅くまで壁面や連絡帳などを無休で準備をした。
もちろん給料なんて出るはずがない。サービス出勤だ。
同時に家族が家族旅行を計画してくれていたが、それも開園準備のせいで私だけ行けなくなった。
開園したらこの苦しみからも解放されると信じて私は頑張った。

5月。
とうとう開園の時を迎えた。私は0歳児の担任となった。子どもと保護者で溢れる保育園。みんな無休無給の疲労を必死に隠して笑顔で迎えた。
しかし開園後も定時で帰る事はもちろん、公休日に休む事さえ許されなかった。毎日毎日、朝8時から夜9時半まで13時間半労働だった。もちろん書類上では8時間半勤務、サービス残業だ。

この保育園には保護者が保育の様子を見られるようにカメラが付いていた。
園長はそれを悪用し、随時職員達を盗聴し、動向を監視していた。
女の職場だ。
当然陰口はある。だが表では何もないようニコニコするのが女だ。
それを園長は、自分にとって目障りな職員に伝え、該当職員を退職に追い込んでいた。
私は土曜保育になると保育から外され、全館掃除にまわされていた。
0歳児の担任が私しかいない時は、保育士資格のないDさんを保育に配置していた。
『どうして?』
同僚にそう聞かれても知らない。事務の先生越しに園長から指示が来るからだ。
サービス残業、サービス出勤、無休(書類上は公休)がずっと続いた。

開園から1ヶ月。
私達を束ねてくれていた経験のある先生が突然来なくなり退職。
担任は全員新卒の未経験者だけになった。

不安そうな保護者たち。
それでも私達は毎日無休(書類上は公休扱い)で保育をした。
それから2ヶ月経ったある日。
学年主任が辞めてから頑張ってまとめてくれていた同僚が突然来なくなり、退職した。

保育士不足に陥った0歳児クラス。
事務を担当していた2人が急きょ異動という形で入ってきた。

職員会議。
私は保育も準備も子ども達も落ち着いてきた、何もせずボーッとしてる職員もいるから定時に帰れないかと園長に提案した。

園長は『定時定時って…あなた共産党の人ですか?だったら…ねえ?』と言って周囲の中年層の先生と目を合わせ含み笑いをする。
『共産党』というワードを初めて聞いた私は訳が分からなかった。
さらに園長から浴びせられた言葉は

『教育事業はサービス残業当たり前やで?それくらい分かってないとアカンわな(ダメなんじゃないのか)』

こうして私の定時退勤の希望は儚く散った。そして、この時に園長に目を付けられたことを私は知らなかった。
それからもサービス残業の毎日は続いた。
運動会が迫ってきた。各クラスで競技の案を園長に提出する。
他のクラスには経験者の先生がおり、スムーズに案が通り準備を進めていく。

しかし0歳児の私のクラスには経験者がいない。
しかも2人はつい先日異動してきたばかりの未経験者だ。
未経験なりにみんなで知恵を絞り案を出す。

『こんなのダメに決まってるでしょ。何考えてるの。最初からやり直し。』

園長は案に目を通すなりアドバイスもなく苦労して書いた案に無慈悲に大きくバツを書き突き返す。
そんな状況が何度も何度も続いた。
運動会の準備への焦燥感、園長への不信感、無休無給の疲れが次々と重なり体調を次々と崩す同僚たち。
しかし1人でも辞めると本当に保育が回らなくなる。私も同僚達も必死に堪えていた。

とうとう私の忍耐にも限界がやって来た。
保育中に突如襲う吐き気。トイレで吐いてしまう。
吐いた以外は特に異常がなかったので隠したが、口をゆすいだ水をこぼしてしまい、バレてしまう。

運動会の準備が忙しい中、休むなんて出来ない。
私は『吐いただけだし、他は元気だから頑張る』と続投の意思を伝えたが、大事をとって休めと同僚達は早退するよう私の背中を押してくれた。
仕方なく私は園長に早退する事を伝えに言った。
何もないと言っても吐いた後だ、多少は胃がムカムカしている。
明日からまた出勤できる、という意思を伝える為に私は頑張って笑顔を作った。

『すみません。吐いてしまって…他の先生からも早退した方がいいと言われたんで早退させてもらいます。』

無表情の園長。しばらく沈黙が流れる。

『何考えてるん?今は運動会前ですよ?』

机を軽く叩き怒りの表情を見せる園長。
予想外の返事だった。いや、あの園長なら言うだろう。

『他のクラスの先生がしんどくても頑張ってる中でヘラヘラ笑って「吐いたから帰ります」?ふざけるのも良い加減にしぃや!』

私の中の何かが弾けた。
ドッと溢れ出る涙。
それでも園長は言葉を止めず、カメラで得たであろう陰口をどんどん言い放つ。

『ヘルプのDさんがあなたと働くと疲れるって言うから土曜保育に掃除させてたんやで!
あんた周りに迷惑かけてるの気付かんか!?』

私は過呼吸になる程泣きじゃくった。そんなつもりじゃない。私は同僚に頑張ると言ったのに…
過呼吸になってしまい、保育に戻れる状況じゃないから帰れと言われ、途方にくれて帰宅する。
帰宅するなり大泣きする私の精神状態おかしいと感じた母が話を聞いてくれた。

『あんたが良いならお母さん園に電話かけるけど、どうする。』

私は泣きながら頷いた。
母は園に怒りの表情で電話をかけた。

『園長先生にとっては換えのきく存在かもしれませんけど、私にとっては大事な娘なんですよ!』

あれこれと園長を論破してるようだった。
1時間後…インターホンが鳴る。
何と園長と主任(園長にとってのイエスマン)が家まで来たのだ。母が対応する。
雨が降っていたが、園長らを家には入れない母。
小さいながらも園長の声が聞こえて来た。途端に襲う吐き気。急いでトイレへ駆け込む。
園長は私に会いたがったそうだが、母が門前払いをしたそうだ。

当初の予定では翌日から出勤するつもりだったが、早退時、園長に心を粉々に砕かれた事もあり、翌日も休んだ。

園長から電話がかかってくる。受ける母。

『体調を崩した人に事前に連絡もなく会いにくるなんて、非常識にも程があるんじゃないですか?
後ろでトイレに駆け込む娘の姿が見えたんじゃないですか?』
またもや園長を論破する母。

『じゃあどうすればいいんでしょう?』
園長が母に投げかける。

『それは上司である園長先生が考えるべき事じゃないですか?
私は母として娘を守っているだけですから。』

それから仕事を休んだが、毎日、母と出勤する為のリハビリを始めた。
出勤路を母と歩いた。職場が近付くにつれて重くなる足。母が少し先で立ち止まって私を待ってくれていた。

一歩がとても小さく前に進まない…
とうとう息を切らして『待って』と母を止める私。
最初はそこでUターンし、気分転換に買い物をした。
少しずつ止めるまでの距離が伸びる。
保育園が見える所まで行く事が出来た。

『あと少しやから…あと少し…』
母が少し先から応援してくれた。

鉛のように重い足を持ち上げて一歩ずつ一歩ずつ進む。
ほぼ止まっているような遅さだった。(後に母がそう語っていた)
あと少しで保育園の前を通過する。
目から涙が勝手に出る。

『保育園見なくていいから。』
母の声を聞き、横を見ずにゆっくりひたすら歩く。
保育園を過ぎた途端、不思議と足が軽くなり、足枷を外されたかのようにスタスタと歩けるようになった。

『保育園まで行けたから明日から出勤しなさい』
ある日母からそう告げられた。

朝が来た。約一週間半ぶりの出勤だ。
元々自転車出勤だったので、自転車に乗った。
スイスイと自転車は進んだ。保育園の手前までは…

突如重くなるペダル。

あまりの遅さに自転車が倒れそうになり、何度も足を下ろす。
とうとう足で地面を蹴ってしか進めなくなる。

更衣室へ着いた。
同僚がいた。
私を見た同僚は笑顔で涙を浮かべ

『帰って来てくれた!良かった!』
そう言うと私を抱きしめてくれた。私も思わず涙を流した。

運動会は目前に迫っていた。
同僚が準備に参加出来なかった私でも出来る運動会当日の仕事を用意してくれた。
何度も道具の置き場所などを練習で確認した。

運動会当日。
園長に呼ばれる。

『あなたには運動会のビデオ撮影をして欲しい。』
「0歳児の出し物で担当があるんですが。」
『ええんや。とにかくビデオ撮影しといて。』

私は困惑した。
なぜなら、ビデオを回してしまうと、持ち場に私がいなくなってしまうからだ。
三脚で固定して持ち場に行こうとした。園長に腕を握られる。

『あんたは行かんでいい。撮影しときなさい』

目の前には私がいなくて困惑する同僚達の姿が。
胸が張り裂けそうになる。
運動会が終わってから私は同僚達に謝りに行った。(続く…..)

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