中国・香港・台湾の政治

台湾の観光名所は名前が変わる?あまり知られていない台湾の裏事情!

日台共同制作ドラマ『路~台湾エクスプレス~』の冒頭でヒロインが台湾へ到着する際に
『当機はまもなく【台湾中正国際空港】に到着いたします』
というアナウンスがありました。
え?どこの空港?
そう思われた方もいるでしょう。
中正国際空港は現在の桃園国際空港です。
これには台湾の歴史的背景があります。
今回はテレビではあまり教えてくれない名所の名称について書こうと思います。

そもそも『中正』の意味は?

まず中正という言葉を聞いて最初に思い浮かぶ有名な観光名所はどこでしょう?
そう、【中正紀念堂】です。実は中正国際空港はあの中正と同じ意味なんです。
では中正紀念堂の中には何があるでしょう?
はい、蒋介石のデカイ像ですね。
そうです…中正とはすなわち蒋介石の事なのです。
台湾人の多くは蒋介石をよく思っていません。
詳しくはこちらから…

国民党による一党独裁(戒厳令)時代

桃園国際空港は1979年…国民党(大陸に帰りたい政党)による一党独裁の時代に作られました。
この頃は学校にも1体ずつ党首である蒋介石の像が設置され
まるで北朝鮮のように党首:蒋介石を称えるよう国民を統制していました。
このような政治的背景から台湾の主要になる建造物などの名称には
蒋介石の訓名(学校で使われる別名)である【中正】を付けていました。
至る所に『中正〇〇』という名称の場所が増えていきます。
1990年にようやく民主主義へと移行した台湾ですが
至る所に一党独裁の名残り…『中正○○』の名称が残っていました。
中正こと蒋介石は一党独裁を作り出した人物ではありますが、国民党にとっては大切な人物です。
その為、国民党が政権を握る限り『中正』の名は残されました。

台湾初の政権交代(民進党)

2000年に民進党(大陸から独立したい政党)が政権をとると、『台湾』を国名にしようという【台湾正名運動】が活発になり
様々な物から『中正』を排除し始め、中正紀念堂は『台湾民主紀念館』に名称を変更。
館内で流れる蒋介石を称える歌、蒋介石グッズの販売、衛兵交代式を廃止し、蒋介石像の前は【台湾正名運動】の展示室のようになります。
今では信じられない光景ですよね💦
そして正門の中央に書かれた「大中至正」も「自由広場」に架け替えられました。(門は現在も「自由広場」のまま)
2006年、この流れで【中正国際空港】が私たちの知る【桃園国際空港】という名称に変わったのです。

国民党が政権を奪還

最初は民進党に期待した国民でしたが、【台湾正名運動】ばかりで中身のない民進党にうんざりし始めます。
そして2008年 国民党が再び政権を取り戻しました。
すると当時の馬英九総統は【台湾正名運動】で排除した『中正○○』の名称を次々と元に戻します。
『中正紀念堂』という名称も、歌も衛兵交代式も復活させました。
経済的発展を重視し、中国の首席とも会談し、密接する事で台湾の経済を潤そうとします。
しかし国民は徐々に「このまま経済面から中国に吸収されて台湾が民主主義でなくなるのでは」と危機感を募らせます。

民進党政権の復活

ここからは日本でも報道されたので記憶に新しいと思います。
2016年 民進党政権の復活によって女性初の蔡英文総統が誕生します。
前回の反省を生かし、中正紀念堂の名称は変えず、衛兵交代式も維持しましたが、館内の歌とグッズは国民の気持ちを考慮して廃止します。
2017年 施設や学校から蒋介石像を完全排除する法案を可決します。
撤去した像は破壊せず、歴史的建造物として桃園の大渓慈湖雕塑紀念公園に集められています。

出典:LINEトラベル

ん?ちょっと待ってください。
【施設や学校から蒋介石像を排除する法案】…
中正紀念堂も対象になりますよね?
台湾では中正紀念堂についての審議が行われ、
2019年 中正紀念堂の蒋介石像を法案の対象外として残す事にしました。

まとめ

名称が変わる理由…お分かりいただけましたか?
台湾は政治的背景を知ると旅もさらに面白くなります。
最後まで読んでいただきありがとうございました。

関連記事
error: 警告! コンテンツは保護されています
Content is protected !!