発達障害の言う生き辛さって何?

こんにちは。
30歳にしてADHDとASDの合併診断を受けたてつこです。

『発達障がいは生き辛さを感じる』
…という話をどこかで聞いた事があるかもしれません。

しかし誰もが常に何かに対して不満を抱きながら生きているもの。
「みんなそれでも頑張って乗り越えてるんだから!」
思わずそう激励してしまうのも無理はありません。

しかし、発達障がい当事者の語る【生き辛さ】はそのような不満とはまた違うのです。
そこで今日は最近発達障害と診断された私が幼少期から抱えていた
【生き辛さ】についてできる限り簡潔に語ってみたいと思います。

周囲が全てスーパーマン

例えばアクロバティックな動きをする人達がいるとします。
何の経験もないあなたはすぐにアクロバティックな動きなんてできませんよね?
少しずつ教えてもらって、練習を重ねていけば、出来るようになるかもしれません。
これって当たり前の事ですよね?
なぜならアクロバティックな動きができる人がごく少数だからです。

でも生まれ持ってみんなアクロバティックな動きができたとしたら?
「どうしてそんな事もできないの?」「普通に出来る事だよ」
「こうやったら簡単にできるでしょ!?」

そういう言葉を不特定多数から言われたらあなたはどう思いますか?
「できる方がすごいんだって」「普通にできないから」
「だから出来ないんだって!」

思わず怒ってしまうのではないでしょうか?
すると次に周囲はこういうのです。
「そうやってすぐに怠ける」「やる気ないだけでしょ?」

…発達障がい者は脳の機能障害によって様々な特性に悩まされます。
周囲はそれを息をするように平然とやってのける。冗談じゃない。

「どうしてできないの!?」…こっちが教えてほしいよ。
「普通出来るでしょ?」…なぜかできないんですよねぇ…
「これくらい簡単な事じゃないの!」…え、そのレベルが簡単ですか…


私は幼い頃から心の中でずっとこう答えていました。
頑張っても当たり前に出来てる事だからだれも褒めませんし、努力にすら気付いてもらえないのです。
私の目には周囲の人が全てスーパーマンに映っていました。

会話は大縄跳びと同じ

大縄跳びは入ったり抜けたり見ていて楽しいですよね。
でもいざ自分が中に入るとなると、縄に入るリズムを考えなければいけません。
入ったら周囲と息を合わせてタイミングよく飛ばなければいけません。

私にとって会話は大縄跳びと同じです。
縄の動き→会話の安定性、話題
跳ぶ→言葉のキャッチボール
みんな息をするように縄を回してスムーズに入ってずっと跳んでいます。
私の場合は跳ぼうとしても縄に入れず、入った時には別の話題に…
入る事ができてもすぐ引っかかってしまって、周囲から冷めた目で見られる。
さらに突如縄を奪って周囲が跳べないようなスピードでブンブン回す事もあるのです。


こういう事を繰り返していると周囲からバッシングされて、大縄跳び自体が怖くなりますよね。
そう…喋り過ぎや寡黙のイメージが強い発達障害ですが、実は会話が怖いのです。

適当にって言われても…

私は何に関しても加減というものが苦手です。
「ここ適当にやっといて」
仕事でよく言うフレーズですよね?
適当に…当たり障りのない程度だとはわかっているんですが…
どの程度かはっきり言えますか?
言えないですよね、だから私達も分からなくなるんですよ。
「ここからここまでこうしといて。分からなかったら〇さんに聞いて」
最後に一言フォローしてくれる人を教えるという助け船を出してもらえるだけでも助かります。
てか普通は言わなくても分かるでしょ
…って言いたいですよね。
適当に言われるだけでサッと出来る人が私達の目にはスーパーマンに映るんです。

積もり積もった生き辛さ

今まで語ってきた事が日常で常に起こっていると、どうなると思いますか?
・自分に自信がない
・周囲の目が怖い
・努力は無意味だと痛感
・自分の存在を否定
・自分がいない方がいいんじゃ…

積もり積もった生き辛さのせいで周囲と関りを絶ってしまい、引きこもってしまうケースもあります。
そういう私も5年ほどほぼ引きこもりの生活をしていました。
完全な引きこもりになる前に無理やり外へ連れ出してくれた母には感謝しかありません。

これをきっかけに、少しでも発達障害の方の苦悩も分かっていただけると幸いです。

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