人間関係

20歳で余命宣告をされ、後悔したこと、手放したこと

何を最初に伝えればと思うのですが、とりあえずタイトル通りの事が私の身に起こりました。人生で死ぬ日を宣言される日がくるなんて、その瞬間まで私は一度も思ったことがありませんでした。よく事件や事故がテレビで放送される時に「その日は突然やってきた」とかありますよね。まさにそれです。

今でこそ「私しか書けないネタだ」とポジティブに考えていますが、当時は相当落ち込みました・・

ここでは、突然自分の人生の時間を知らされた日のこと、そうなった事で変わったことを書いてます。(文字だけでたらたら書いています。;;)

「1か月半の命です」と言われた日

入院したその日、学校に行こうとした私を、前から異変を感じていた母が強引に病院に連れていってくれました。病院についてから、検査結果が遅くて(たぶん病院の普通の待ち時間)寝て待っていたのですが、いよいよ名前が呼ばれ待合室に入ると先生が一言。

「ちょっと数値が悪いですね・・」

そう言いながらも先生の声のトーンや仕草は普通で、だから特になにも思わず話を聞いていたのですが、次の一言で私の理解は一気に追いつかなくなりました。

「あと一か月半の命です。今すぐ入院してください。」
・・・・・・・・・・・・え?・・私が?

よく「余命を言われて声が出なくなりました。」なんて言葉を聞いては、声をなくすってどんな感じなんだろう・・と思ってましたが、実際自分がなってみると本当にそうでした。そのあとは何も考えられなくて、でも意識はちゃんとありました。(驚くというより誰の話?という感じだったかもしれません)

よく分からんけどなんか私やばいらしいと漠然と事の重大さを受け止めていました。私が正常な考え方が出来るようになったのは夜中になってからでした。

命の期限があると分かってから後悔したこと

この出来事がきっかけで、私は自分の人生を考え直すことができたなと思います。

私が死を意識してベッドの上で思ったのは

・勉強したかった
・自分を見てくれる人を大切にすればよかった
・自分の人生について考えるべきだった
・やりたいことをやればよかった

この4つの事でした。

勉強したかった

もっと勉強をすればよかった、とベッドの上で思いました。それまで私は勉強と名前がつくものが大の苦手で、自分の好きなものか嫌いなものかを判断する以前に「勉強だから嫌」という意識でした。

でももう自分には時間がないと分かると、どうして自分にはこれと言ってできるものがないんだろうと思いました。もっといろんなことに興味をもって勉強すべきだったこれが一番最初に浮かんだことです。

自分を見てくれる人を大切にすればよかった

よく番組で「自分に何かあった時に、家族のありがたみや友達のありがたみが分かる」と言っている人を見て、何も感じたことがありませんでした。ふーん、みたいな感じで聞き流していましたが、実際その通りでした

自分のことを、大切にしてくれる人が身近にいたにも関わらず、私はどうでもいい人間ばかりによく見られようとしていたと気づいたんです。家族の時間より上っ面だけの友達や知り合いを優先したり。本当に今までの人生、私は誰に自分の貴重な時間を捧げてきたんだろう。そう思うととても後悔しました。

どうでもいい人間関係が大切な時期は、誰にでもあるのかなと思います。でももし人付き合いで悩んでいる人がいるなら、長くない自分の人生の時間をその人のために使ってもいいのか、と一度考えてみてほしいです。きっと答えはNOになるはずです。

「時は金なり」の意味を私はことわざの一種として覚えていて、身に染みてこの言葉は使っていませんでした。でもこの経験をしたおかげで今は、本当にそう感じます。むしろ時は金以上でした。本当に大切な人生の時間を、私はこれから大切な人のためだけに使っていこうと思います。

自分の人生について考えるべきだった

それまで私は、自分の人生は誰かと一緒に行動してそのまま大人になればいいんだと思っていました。そう思いだしたのは高校生のころで、でもそうなってくると
・どうして自分がこの世に自分は生まれたのか
・何のために自分が生きているのか
ということに疑問を持ち始めていました。

こんな考え方をしていたので進路先も特に希望はなく、適当にどこかに行けばいいだろうと軽い気持ちで大切な決断をしていたんです。

でも死んでしまうという状況になって初めて終わりがあるから人生は尊いんだと思えるようになりました。そこで初めてどうして私たちが日々、一日一日を大切にしていることが分かりました。だからこそ人はこの一生を悔いのないように生きようとするのか、ということに気づきました。

その貴重な人生の時間を、適当に決めた人生で生きるなんて本当にもったいなかった。もっと自分の人生をしっかりと考えるべきだった。とても後悔しました。

やりたいことをやっておけばよかった

私にはずっとやりたいことがありました。それは
・海外に行くこと
・英語が話せるようになること
この2つです。

私は幸運にも一つ目は叶えていましたが、2つ目を叶えていませんでした。でももうあと1か月半しかない。英語やったところで海外にだっていけない。そう思うとどうして自分は英語を習得していなかったんだろう、と涙が出てきました。

どうして過去の私は‥どうして‥。でも思ったところでその状況は変えられません。だからとても後悔しました。私は今生きているからこの言葉が言えますが、本当に一か月後に亡くなっていたとしたら、絶対に叶わなかった夢でした。

だからもしあなたが今何かしたいことがあるなら、私は今すぐすべきだと思います。だっていつこの世から去るかなんて誰にも分からない。そうなった時に後悔したってもう遅いので‥。

しぬこと以外はかすり傷」本当にそうだと思います。後になって後悔したって本当に遅いです。だから今を後悔のないように生きることが大切なんだと思いました。

この日を境に執着がなくなったもの

・お金
・うわべだけの友達
・プライド
・人と比較すること
・物欲

私はこの5つが病気を通してなくなりました。

お金

恥ずかしいですが、以前の私はとてもお金に執着していました。

お金がない=恥ずかしい事

そう思っていて、将来そうならないためにも沢山稼げる職業につきたいと思っていたんです。

でも死を覚悟したその日からお金じゃなくて命がほしい、もっと時間がほしいに気持ちが変わりました。
「お金が沢山手に入れば幸せになれる。」
漠然とそんな意識をいつからか持っていました。
ですが実際死を目の前にしたら、お金なんてどうでもよくなりました。

お金は元気さえあれば働けばなんとかなります。
でも健康はどれだけお金を払っても手に入れられない。
この時私は、全財産を失ってもいいから健康がほしいと本気でそう思いました。

と言いつつ、今もお金がほしいと思います(笑)。
でも暮らしていけるだけのお金があればそれでいい。
本当にそう思います。

こう考えられるようになって、改めて外の世界を見てみると、過去の私と同じように頭の中が金!金!金!になっている人が多いんだなと思いました。
でも気持ちはとても分かります。

お金のことを考えることと幸せという人は良いんです。
でもお金、お金と言っている人に限って、心に余裕がなさそうでとても辛そうにしていることが多いような気がします
実際過去の私はお金に執着しすぎて、お金に苦しめられていました。

お金の悩みが消えなくて辛いと思っている方は、お金のことは一度隅に置いてみて、目の前のものに感謝してみると楽になれるかもしれません。

うわべの友達

私にはうわべだけの友達が本当に沢山いました。
でも病気になったと報告すると、ある人たちは連絡がなくなり、ある人たちは急に態度が変わったりしました。

過去の私の中で”友達”というのは積み木みたいな感じで、完璧に積み木を重ねていって綺麗なお城にする
そういう感じでした。友達はただオブジェで、友達の数=充実と勘違いしていたような気がします。

それで沢山積み立てた積み木を崩さないように、いつも気を張っていたんです。
でも、病気になってよく分かったのは、お城だと思っていたものは中身が何もないただの重ねただけのガラクタということでした。

”ずっと仲のいい友達でいよう”私たちは親友”。
いつも嬉しい言葉を言ってくれた人ほど、音信不通になってしまったり態度が変わってしまったり。
その時は本当に辛かったです。

今まで何に時間を使ってきたんだろう。

そう考えるともう自分の人生になんて、なんの価値もないような気がしていました。

でもそれと同時に大切なのは言葉じゃなくて行動だということにも気がつきました。
好きだよとある人が言ってくれたところで、一番大変な時にその人が助けてくれるのかは分かりません。
なので大切な人がいるなら、もっと行動で示すべきだと思いました。

プライド

プライドって良い意味で使われるプライド以外、本当に要らないものだと思います。

私は病気になったことで全てを失いました。
なので私に人に誇れるものなんてなくなりました。
でもそうしたら毎日とても過ごしやすくて、だから前はどれだけプライド高かったんだ・・とも思い知らされました

プライドがある時って話に色を付けてしまうことってありませんか?
例えば、釣った魚は元々ちょっと大きかっただけなのに、人に説明するときにはめちゃくちゃでかい大魚になっていたり。
でもこれって一度そう言ってしまうと、次もずっとこの大きさを伝えないといけなくなるんですよね…。

これが小さな嘘になって何度も話すことで大きな嘘になります。
それは疲れる事だったとこの時に分かりました
プライドが無くなると、事実をありのままに伝えることができるようになりました。
だからあとで自分が疲れてしまうこともないし、嘘がない分気持ちも楽に生きられるようになったんです

他人との比較

元々私は、他人から自分がどう見られているのかをとても気にしていました
他人と一緒ではないということは恥ずかしい事。
だから、欲しくないけど皆が持っているから欲しくなったり、自分の好みで買ったものなのに他人から何か言われるともう持ち歩けなかったり

でもそれも病気になったことで変わりました。
その理由は、そもそも服とか、靴とか、流行りとかどうでもよくなったからです。
だって闘病中は、服とか靴より健康をくれいつもそう思っていました。

なんだかどうでもいい事に大切なお金や時間を使ってたなと知りました。
私の場合、元々そんなに興味はなかったけど周りに流されて今の流行りを知って無理にやっていました。
なので、今は自分の持っているもので人と比較したりしません。
自分が選んだんだからそれでいい。そう思えるようになりました。

物欲

よく「亡くなったら何も持って行けないから財産はそんなになくていいのです」みたいな話を、私はずっと嘘だと思っていました。
だってお金はどんな時でも必要だし、物がないと生きて行けていけないしと思っていたからです。

でも自分がいざこういう状態になってこの言葉が分かりました。
自分が本当に亡くなるのかって思ったら、本当にお金とか物とかどーでもよかったです

今になって、物欲ってなんなんだろうなと思います。
それまで大切に集めて保管していたものが死を意識すると要らないものに見える
なんでこんなものにお金使ってたんだろうと不思議になりました。

最後に・・・

自分の面白くもない話をつらつら書いてしまいました。
お付き合いいただきありがとうございます。

人によって悩みは違うと思いますが、死ぬって分かった瞬間、悩みの大半はどうでもよくなります。
ふと死を意識した時に、あの時もう少し頑張っておけばよかったと思い出すなら、それは絶対にやったほうがいいことだと思います。

生きていると自分が亡くなる事ってあまり考えませんよね。
実際私がそうでした。また明日があるから。今しなくていいや。でも本当はそうじゃなかったです。
今日と同じ明日がくるなんて本当に分からないので、私は一日一日を大切に生きていきたいと思います。

本当に長くて文字だけの文章だったのに、最後まで読んでいただきありがとうございました。

病気になった理由で苦しむなら「本当の自分に出会えば、病気は消えていく」を読むといいかも
仕事辛い…辞めたい…その苦痛を楽にする方法
【人の言葉に異常に傷つく】共感力が高すぎる人の特徴

関連記事
error: 警告! コンテンツは保護されています
Content is protected !!